Interview
社長の生い立ち
代表取締役
武田 晴輝
家づくりは、
幸せづくり。
Q&A 01
幼少期はどんな少年でしたか?
誰とでも仲良くできる性格でしたね。
特に誰々のことが嫌い、と言ったこともなく、派閥的なものに属すタイプでもありませんでした。勉強に関しては国語や英語はからっきしで、数学や理系科目がかなり得意といった感じで、偏りがありましたね。
ー部活はされていましたか?
中学、高校とバスケ部でした。
ただ、背は低く、飛び抜けて身体能力が高いタイプではなかったです。
人並み以上には動けるけど、目につくほど飛び抜けた運動神経は持っていませんでした。
Q&A 05
では、それがきっかけで武田建設を継ごうと決心されたんですね?
はい。父のエピソードの大半に武田建設が絡んでいましたから。父のようになりたいということは、武田建設と共に歩むことにあると思うんです。まだ何も知らない半人前でしたが、覚悟が決まった瞬間でしたね。
Q&A 02
幼い頃から何かを作るのが好きだったり、今の仕事に通じる思い出はありますか?
父の趣味が機械や車、バイク修理だったんです。物心着く頃からそんな父の姿を見ていたので、いつの間にか工作や機械修理は得意になっていましたね。
ー幼い頃からかっこいいお父さんだったんですね
そうですね。ただ、その頃は大嫌いでしたね。家庭ではかなり厳しい厳格な父親だったので、中学生くらいからは必要最低限の会話しかしていなかったと思います。そのまま高校生になって、大学は父を避けるように秋田大学に進学しました。
Q&A 03
では、大学卒業後に会社を継いだ訳ではないんですね?
そうですね。自動車やバイクが好きだったので、山梨の自動車部品の製造会社に就職しました。ただ、自動車やバイクは完全に父の影響ですよね(笑)
父とは程よい距離があり、趣味が共通ということもあって、関係は少しずつ回復していきました。
Q&A 04
なるほど。ここから親孝行が始まるんですね?
社会人になって1年が経ったくらいの頃ですかね、父が倒れてしまったんです。今でもすごく覚えていますが、4月24日、夜勤中に母から父が危篤になったから今すぐ帰ってきて。と電話があったんです。急遽早退してすぐに帰省。病院に着くと、全身に管が繋がれた父がいました。その場で症状がくも膜下出血であることを聞かされ、持って後1日と伝えられました。その瞬間は全く実感がなくて、眠る父を見てもうすぐ目を覚ますんじゃないかという気がしていました。でも、ダメでしたね。
あまりにも突然すぎるお別れですね・・・
そうですね。父が息を引き取ってから、死を意識しました。やっと少しずつ親子らしい会話ができるようになって、春には一緒にツーリングに行く約束までしていました。父の死を理解した途端、叶わなくなった約束やこれまで避けてきた時間が頭を駆け巡り、今までにないくらい号泣しました。あれほど涙することは、僕の人生で最初で最後かもしれません。
でも、あの日が私の人生において非常に重要な1日でした。
ーあの日とは、お父様がお亡くなりになられた日、ですか?
はい。正確には父の亡くなった日と、その後のお葬式ですね。父が病院で寝たきりの時も、何人も病院に駆け付けてくれていました。でも、お葬式ではその何倍も、私の知らない人たちが父のもとへ集まってくれたんです。
そしてたくさんの方が、いかに父が素晴らしい人格者であったかという話をしてくださいました。家庭では全く見てこなかった父の姿に、最初は信じられませんでした。
でも、その人たちの中には紛れもない温かい父の姿が存在し、積み重ねた信頼がこのお葬式に駆けつけてくださった人の数なんだと理解しました。
そこで初めて父に対する尊敬が芽生え、こんな人になりたいと明確に思うようになりました。
Q&A 06
武田建設の一員として、最初の頃の思い出はありますか?
最初は父と共に現場にでていた方にご指導していただき修行の毎日でした。2年が経った頃に、この方とは経営方針の違いから別々の道を歩むことになったのですが、この方がいなければ武田建設は続いていなかったと思います。あまり気持ちの良い別れ方はできませんでしたが、今では本当に感謝しています。
その方がいなくなったタイミングで、経営から現場作業、営業活動、全てを私自身で行うようになりました。
今の妻(佳世)に出会ったのもその頃です。
Q&A 07
公私ともに、新しい生活がスタートしたタイミングですね
はい。とにかくいい仕事を心がけ、毎日毎日住宅基礎工事を頑張りました。
人も増え、売り上げも増え、数字としては右肩上がりの状態だったと思います。
ーそれだけではダメだったんですか?
ダメではないんですけど、特に感謝されることもなく、ただ売り上げを伸ばす自己満足のための毎日のように感じていました。
Q&A 08
その悩み、どのように解決されたんですか?
妻との結婚です。結婚の了承を得るための条件が新築を建てることと言われ、新築を建てたんです。新築の家で新婚生活がスタートしてから、生活がガラッと変わった気がしました。結婚ということももちろん大きな変化ですが、「新築」というのもとても大きなポイントでした。家を建ててくれた方に、とても大きな感謝を感じました。
その感謝に気がついた時、自分の思い描いていた感謝される父の姿はここにあるんじゃないかと思ったんです。父のようになりたい。そう思っていたイメージが明確になった気がしました。
Q&A 09
29歳で事業転身、佳世さんは納得してくれたんですか?
妻にどう思う?って聞いたんですよ。すると、「どう思う?って聞く時点で決まってるんでしょ?私はついていくよ」と即答でした。そんな妻のまっすぐな思いを受けて、吹っ切れたように再スタートを切りました。
Q&A 10
工務店を始めてみて、最初の仕事はどうでしたか?
工務店の営業が始まってからすぐ一件のお問い合わせ電話がありました。最初のお客様です。人生において一番大きな買い物である「マイホーム」絶対失敗できない大事な会社選びを、私たちに委ねてくれたお客様を心から幸せにしたい。その一心でした。
一生懸命誠心誠意込めて対応した結果、素晴らしい一棟が完成し、お客様にも満足していただく事ができました。
私たちが感謝しても仕切れないほどなのに、お客様からも感謝をいただき、工務店を始めたいと思った最初の想いが、形になった瞬間でした。
Q&A 11
社長にとって、家づくりとは何ですか?
お客様の幸せをつくることです。私たちは家を作ることで仕事は終了します。でも、お客様はその家で新たな時間をスタートさせていくんです。私たちの仕事は終わりに向かって進むんじゃない。始まりを作っているんだ。そんな気持ちで日々働いています。私はそんな仕事を天職のように感じています。もっと多くのご家族と一緒に幸せを作りたいと、心の底から願っています。